Chi-Labo

自分らしく生きるということ

「人はみんな違って当たり前」
「人と比べても仕方なし」
「自分らしく生きよう。」

そんな当たり前のように言われていることが、今年に入ってようやく腑に落ちるようになりました。

今までは、頭ではその言葉を理解していても、何かあると、人と違うことに不安になったり、
人と自分を比べて落ち込んだり、自分らしさがわからなかったりして結構苦しんでいましたが。

たくさんの学びと出会いの中で、少しずつ、そのことが体感としてわかるようになってくると、あ、自分は自分らしく生きることを許してなかったのだな、ということに気付きました。

今日はそこに至るまでに感じたプロセスを書いてみようと思います。

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去年の4月から、陰陽五行論に基づく帝王学なるものを学び始めました。

自然の摂理や東洋思想を陰陽五行を通じて学び、さらに帝王としての生き方、在り方を学んでいるのですが、(こう書くとなんだかすごいですね)
かなり奥が深くてまだまだ全貌が見えません。

それでも、人にはそれぞれ宿命というものがあり、
その人の人生は、生まれ持った宿命と運命と生き方で変わっていくということがおぼろげにわかってきました。

それに加えて、昨年秋から数秘術を学び始めました。

こちらも人には生まれ持った数があり、数にはそれぞれのバイブレーションがあるように、
人もそれぞれ持っているバイブレーションが違うのだということを学びました。
そして、そのバイブレーションに良い悪いはなく、それがその人らしさであり魅力であるということがわかってきました。

さらに。

去年の11月に母が亡くなった時のこと。

母に骨格がそっくりな自分を鏡で見た時に、
自分を形作るルーツがはるか遠いところから脈々と受け継がれていることを肌で感じました。

そこでなんだかはっとしました。

それぞれが生まれながらに先祖から受け継いで来ているバックグラウンドというのもまたそれぞれで、
一人一人違うのだということを、そこで改めて実感したのです。

その時、あぁ、人と比べることは全く意味がないことなんだな、と腑に落ちました。
だって、その人が受け継いできた情報がそれぞれあまりに違い過ぎるし、比べたところでそもそも持って生まれたものの条件や前提が違うのだから。

それならば、自分を自分らしく生きること意外に答えはない。

そう思えたことで、私は私であることを許せた気がしています。
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人と違うことはそもそも当たり前なのです。

一人として同じ肉体を持ち、同じ魂を持ち、同じ宿命を持った人はいないのです。

そして、この世に生まれてきた目的やお役目も、やはり人それぞれなのだと思います。

そこに至るプロセスもまた人ぞれぞれであり、何を試練と感じ、何を幸せと思うかも、やはり人それぞれなのです。

だから、人は自分の人生を、自分の生き方で全うしていくこと。

それしか道はないのですね。

他人の価値観で生きるわけにはいかず、

自分という軸の中で、自分が大切にしていきたいことを大事に、今を生きるしかないのですね。
そう思えるようになったら、なんだかとても楽になりました。

あの人には軽く超えられる山だとしても、

自分にとってはとてつもなく高い山に思える。

それでいいのです。

あの人にはこんなこと、造作もないことだけど、

自分にとってはとてつもないチャレンジに思える。

それでいいのです。

何故なら、人によって超えるべき山も壁も違うから。

その山を、壁を、自分がどう感じ、それと自分がどう向き合っていくか。

そして、どうやってそれを山でも壁でもなく、生きる喜びというものに変えていくか。

それが何より大事なことで、それこそが、自分の人生を自分が生きているということだから。

 

だから今日も、自分を生きることに邁進する。

それがその人らしさ。

そんなことを思う日々であります。

 

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